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3>「急な坂道を登っているみたいだ」
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| 「しばらく眠ったのかな」 意識を取り戻してかなりたってから、父はふと思い出したようにこう母に尋ねた。気づいてみたら物々しい機械が並び、体中管だらけ。何が起こったのか、どうなったのかを必死に思い出そうとした末に、夢を見たことに気がついたらしい。 「夢を見てたワ、長い長い橋を渡ろうとして、途中から帰ってきた夢を」 と、ポツリと言った。その夢が、あまりに事実を暗示しているのにみんな驚き、思わず顔を見合わせた。 輸血の状態が少し悪いと、すぐに血圧が急降下する。看護婦さんがつきっきりで測定して医者に小声で報告する。 「60です」 それを父が耳ざとく聞きつけて、一時はゼロまで下がったことなどもちろん知らないので仰天したように叫ぶ。 「60だって、低いじゃないか」 「おなかが痛かっただけなのに、どうしてこんなことになってしまったんだ」 父は不安そうに、付添いの医師に尋ねた。しかし、医師は 「だいじょうぶです。心配いりません」 とボソボソいうだけ。父は不満そうに私たちの方も見回すが、私たちにも答えようがない。すると今度は 「ススム(4)を呼んでくれ」 「秘書課長(5)を」 と、矢継ぎ早に色んな人を呼び始めた。日程がキャンセルになることや、県会が近いことが気になるらしい。病室に入れかわり立ちかわり入って来る人たちに、痛みをこらえながら細かい指示を出す。そうしながらも、何とか相手の表情から病気の重さを読み取ろうとしているらしく、呼ばれた井上さん(6)や土屋さん(7)らがタジタジとなるような目つきで、ジロッとにらみすえる。 ちょうどそのころから、父のおなかが目に見えてふくれだした。ふだんでも大きなおなかだが、それがポンポコリンに張って、まるで山のようになってしまった。いよいよ内臓圧迫がはじまったのだ。前日から続いていた耐えられないような痛みは消えたが、かわりに息苦しさとの戦いが始まった。 その間に医師たちの話し合いが続けられていた。危険だが手術しか方法はない。そのためには血管手術の専門家を呼ぶ必要がある。と、話が決まり、医大の客員教授で、その道の権威である榊原先生に来ていただくことになった。だが、榊原先生は、所用で午後五時ごろまでは身動きできないという。長く、つらい"待時間"が始まった。 「おなかの、細い血管がちょっと切れた。手術をしたらすぐ治る。東京から榊原先生(8)に来ていただくので、もうしば らくがんばって下さい」 お医者さんが父にこう説明し、父は一応納得したが、その間にも出血量は増え、内臓圧迫は増すばかり。小便も、いくらがんばっても出ない。父はいやがったが、しかたなく、管を通して小便を出すことになる。だが、それでもほとんど出ない。息苦しさも強くなる一方で 「エライ、これは本当にエライわ」 「まるで急な坂道を登ってるみたいだ」 とその苦痛を訴える。 (4) 橋本進さんのこと (5)土屋金弥秘書課長(故人)=(7)も同じ (6)井上統二知事公室長、9月末に出納長となり、仮谷志良知事の下で副知事を務めた(故人) (8)日本で初めて心臓手術を手がけた循環器外科の権威、榊原仟(しげる)筑波大副学長(故人) |
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